最近、新聞やニュースでよく耳にする言葉、
成人して学校を卒業しても、親から独立しない若者。
要因は、さまざまで根深いものがあります。
2~3行で書ける内容ではありませんね。
ワタシは20歳のとき、家を飛び出し、公団の1DKを
借りて、待望の1人暮らしを始めました。
もううれしくて、うれしくて、
お金はまったくなかったけど、大人になった気分と
親からも誰からも干渉されない時間と空間に
心ときめかせていたものです。
今、そんな話は死語のようですね。(+_+)
ある報告書の1部ですが、住宅政策についての
コラムがあります。
戦後日本の住宅施策は、「中間層」の「家族」に よる
「持ち家」取得の促進に力点を置いた。住宅金融公庫は、
住宅購入支援のために大量の融資を供給し た。
公庫が2007 年に廃止されてからは、おもに税制上の
技法を使った持ち家支援が続いた。これに比べ、
「低 所得」「単身」「借家」世帯のための住宅施策は
小規模であった。公営住宅の建設は少なく、
その供給の大 半は若い単身者の入居を拒んだ。
民営借家建設に対する援助はほとんど存在せず、
公的家賃補助の供給は 皆無に近い。
低所得者向け住宅施策は、周縁的な位置づけしか
与えられなかった。 経済が順調に成長していた時代では
若い人たちは、自力で親の家を出て、賃貸住宅を確保し、
そして「中 間層」の「家族」を支援する住宅政策のもとで
結婚し、所得を増やし、「持ち家」取得をめざした。
しかし、 “脱成長”の時代に入った日本社会において、
「低所得」「単身」の人たちの住宅確保を助けず、
「借家」の 居住条件を改善しない住宅政策は、
若い人たちに対し、人生の「足がかり」さえ提供できていない。
この記事を読んで、時代の違いを感じました。
わたしの青春時代は、経済が持続的に成長していたんですね。
今の若者たちが、なんら悪いわけでなく、
やっはり導く側が、しっかりと見守ってやれていない
ということなのでしょうか。
どうする、どうする(>_<)と後追いの政策。
これらの現状を踏まえ、どうあるべきか?
どうしようではなく、どうありたい?
国も、若者も、おっちゃんもおばちゃんも皆、
本当の心のチカラが試されているのだと思いました。