最近よく聴きます。
柱や仕上げ材はやっぱり国産材でないと!
日本の気候には国産材が一番合うんです!
自治体から補助金も出る地域もあります!
日本の四季を感じながら育った木は
その気候に順応し、暖かい地域の木は
割と短期間で大きく成長するし、寒い地域では
なかなか大きくなりませんが、年輪の詰まった
堅い木に成長してゆきます。どちらも
私たちの暮らす地域で家を建てる際、とても
適した材であることは間違いないと思います。
でもそれは生きていれば という前提が付きます。
『木が死ぬ』ってどういうこと?
そう思う方も多いと思います。一見動かない木が
生きるとか死ぬとか。
簡潔に話をすると、木を殺すということは、
木の中の水分を抜くということになります。
人間と一緒。人の身体から血が無くなることを意味します。
死人に口なしのようなもので、死んだ木は動かないんです。
じっとしてる=寸法安定している という考え方。
じっとして動かない死んだ木が、呼吸することは
ないと思うのですが(+_+)
木の呼吸とは、調湿機能そのものであり、木が本来
もっている力です。それこそ、暮らしの中にあれば
暑い夏も、寒い冬も、大自然の力で
快適に支えてくれるはず。
大きな揺れにも、木独特の粘りを発揮して
家を守ってくれるはず。
だからこそ、国産材は素晴らしいのだと思っています。
生きていなければいけないのだと考えます。
細かい材木を強いボンドで張り合わした積層集成材や
高温乾燥機で、蒸し焼きにされ、カラカラに水を抜かれた
乾燥材は、本来、木のあるべき姿ではないと思います。
人が大自然からいただく、ありがたい『いのち』なのに。
外材とか、国産材とか、そのもうひとつ手前をしっかり
考えないといけないと思っています。
新月伐採した樅の木を倒しているところです。